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[月刊コラム Vice Versa 第4回]"ACミランとステファン・エル・シャラーウィ、噛み合い切らなかった歯車" #ForzaFaraone


まさに青天の霹靂・・・、というわけではなかった。

事が具体的に動き始めたのは2014年末。
ASローマが彼を獲得したいと本気で考えたその時から、可能性は高まっていた。。。

ステファン・エル・シャラーウィがACミランに加入したのは2011年6月25日のことだった。当時、ACミランプリマヴェーラの選手の中では期待値の高かったMFアレキサンダー・メルケルの保有権をジェノアに譲渡してまで獲得したのは、2010-2011シーズンのレンタル先パドヴァでの活躍が認められてのことであった。パドヴァは4-3-3を基本フォーメーションに、左ウィングで活躍した「ファラオーネ」は鳴り物入りでのミラン加入となった。加入当時から順風満帆であった。当時はまだズラタン・イブラヒモヴィッチがいたし、ロビーニョというお手本が存在した。出場機会もそれなりには与えられ、しっかりとした柱のいるミランの中で、新進気鋭の若手という位置づけは、彼の成長に大きく寄与することとなった。しかし。。。

2012年夏、ミランは大きな舵を切ることになる。ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾ、ピッポ・インザーギ、アレッサンドロ・ネスタ、クラレンス・セードルフ、ジャンルカ・ザンブロッタなど「ベテラン」の一斉引退。そして、チアゴ・シウヴァ、ズラタン・イブラヒモヴィッチの移籍、アントニオ・カッサーノの引退。チームはベテランを失い、中核を失う。これはある意味でクラブは一気に「若返り」を迫られる結果となる。その中心人物として挙げられたのが、ステファン・エル・シャラーウィであり、マッティア・デ・シリオであった。しかし、2012年夏の時点で弱冠20歳のファラオーネにとって、それはプレッシャーを意味する。シーズン開始当初は感じることのなかったプレッシャーだったのかもしれない。2012-2013シーズン前半のファラオーネは、14得点を挙げていた。これは20歳の若手選手としては驚異的な数字である。しかし、それでもチームはズルズルと後退していた。若手のホープには、自らの数字だけでなく、「チーム全体」の数字が重く圧し掛かっていた。更に・・・。

2012年10月6日、"La Gazzetta dello Sport"の中には、「ウクライナの矢」、ACミランのレジェンドストライカー、アンドレイ・シェフチェンコのインタビューが掲載された。その一節を紹介しよう。
「エル・シャラーウィについて、誰を比較することが出来るかはわからない。比較というものは有害なものだと私も信じている。というのも、いかなるカンピオーネも、独自の存在であるからね。
しかし、ステファンを見ていると、私には私のことを思い出さされる。そういう何かが備わっている。例えば、彼が加速した時などね。エル・シャラーウィには偉大なる選手となるに必要な全ての要素が備わっている。彼は足が速く、良いシュートが打て、簡単に攻撃が出来る。しかしながら、彼の役目はゴールを決めること。もしイタリアでそれが出来なければ、人々は彼を批判することになるだろう。」

また、ジョゼ・アルタフィーニ(同じくACミランレジェンド)はこうも述べた。
「エル・シャラーウィはネイマールや(リオネル・)メッシを思いこさせる。彼らは重心が低く、ボールを足に吸い付けているかのようにプレーする。彼は既に自らが良い選手であることを証明した。大事なのは彼のことを持ち上げすぎないことだけどね。。。」
しかし、時既に遅しであった。

2012-2013シーズン前半の大活躍は、ACミランのティフォージ(ファン)にとって、失われた多くの輝く宝石達を忘れる為の唯一無二の存在であった。マッティア・デ・シリオにも同じく過度の期待が掛かっていたものの、ディフェンダーである彼と、アタッカーであるエル・シャラーウィ、どちらにより多くの期待が掛かるかは自明であった。様々な選手がイブラの不在に悩み、もがき苦しむようになった中で、前半戦だけで14ゴールという数字を叩き出したファラオーネに多くのミラニスタが夢の実現を確信していた。
ステファン・エル・シャラーウィがミランを救う
この言葉は、ギリギリの時間に同点ゴールを叩き出したフリウリでのウディネーゼなど、様々な試合後日の新聞紙面で使われた。
ステファン・エル・シャラーウィはミランの新たなシェヴァだ
「ステファン・エル・シャラーウィは将来バロンドール候補となるだろう
「攻撃に転じてはゴールを奪い、バックラインのカバーまでしてしまうファラオーネは総合的に優れたカンピオーネ候補だ」
彼の両肩には、「ACミラン」の看板と、「ACミランのレジェンド」との比較といった「荷物」が抱えきれないほど、いや、彼を押しつぶすほど圧し掛かっていたのである。

カレンダーを2013年のものに替え、新加入のマリオ・バロテッリとの2枚看板(ファラオーネの負担を少しでも減らそうというミランフロントの計画)として、シーズンの後半戦に挑んだファラオーネは急激にゴールが奪えなくなってしまう。重心の下がったチームは守備に奔走し、ファラオーネにも守備のタスクが雁字搦めのように科せられていた。ゴールは2つ。後半戦のファラオーネの数字である。もうこのときにはシェヴァの宣言通り、批判が待っていた。
ステファン・エル・シャラーウィはゴールが奪えない。ワンパターンのドリブル。カットインしかない選択。ディフェンダーはもう彼の動きを読みきっている。

2013-2014シーズン開幕。8月のUEFAチャンピオンズリーグプレーオフ、PSVアイントホーフェン戦でゴールを奪ったファラオーネは再び再始動を切った・・・はずであった。しかし、翌9月には怪我を負う。筋繊維に問題が生じたファラオーネは当初2週間の離脱であった。しかし。。。復帰したばかりのファラオーネを襲ったのは中足骨骨折。その後、2ヶ月復帰に時間を要したファラオーネは復帰後約2週間で怪我が癒えていないとの理由で再離脱。その離脱中には脊ついを損傷していることが判明し、結局4月までは復帰なし。その頃には、ミランはクラレンス・セードルフが監督になり、夢のカカとの共演のチャンスはもう僅かしか残っていなかった。。。

2014-2015シーズンも、怪我に悩まされた。もはやほぼ1シーズンまるごとを怪我で過ごしたファラオーネに、ミランの中心選手という看板はほぼほぼ残されていなかった(期待されていなかったわけではない、むしろ、期待は高いままであった。)。ジェレミー・メネーズの独我的ではあるが、結果にはなる活躍の陰で、ファラオーネは再び、シーズン後半を中足骨骨折により離脱。怪我との戦いを2シーズン連続で送る結果となる。


2014-2015シーズンの中頃、ステファン・エル・シャラーウィを欲しがったチームがある。それがASローマでった。マッティア・デストロの獲得を望んでいたフィリッポ・インザーギ監督の意向を知っていたローマのワルテル・サバティーニSDは、即座に動きを見せたのである。
「ACミランがマッティア・デストロの獲得に向け、ステファン・エル・シャラーウィとのトレードを画策」
こう銘打って記事を書いたメディアはローマを本拠にするとある新聞紙である。その新聞紙は、ワルテル・サバティーニSDの動きを1番精確に表すことで定評がある。(ワルテル・サバティーニSD自身が意図的にリークしているという噂もある。)ACミランはその際、スソのフリーでの獲得に動いていたことも相俟って、信憑性を与えたその噂は、結局のところ、ファラオーネ自身の怪我により頓挫した。しかし、その時には、ボルシア・ドルトムントを始め、各国の有力クラブからのオファーがあったことは、代理人である兄の後の発言から明らかとなっている。

そして、夏のカルチョメルカート(移籍市場)へ。
ビー・タエチャウボルの介入により、金銭的に窮地を脱したACミランは、カルロス・バッカ、ルイス・アドリアーノの獲得を決めた。さらにはズラタン・イブラヒモヴィッチの再獲得を目指している。
さらに、ACミランはシニシャ・ミハイロヴィッチ監督の招聘を発表した。シニシャ・ミハイロヴィッチはサンプドリアで4-3-1-2を使用している監督である。この2つの要素をかみ合わせれば、FWはバッカとルイス・アドリアーノ、トレクァルティスタ(トップ下)はズラタン・イブラヒモヴィッチというのがミランの構想であろうという予想が容易に成り立つ。そこでステファン・エル・シャラーウィの居場所がない、とされるのはある意味妥当なことでもある。
しかし、その4-3-1-2は純然たる4-3-1-2ではない。カルロ・アンチェロッティの4-3-1-2とも、マッシミリアーノ・アッレグリの4-3-1-2とも異なるミハの4-3-1-2は、未だ然程多くの解説がなされているわけではない。しかし、彼の4-3-1-2は「4-3-1-2」という呼称はあるものの、4-2-3-1にも通ずる「4-3-1-2」というフォーメーションである(後の記事で詳述予定)。
いかにも、彼の「4-3-1-2」であればステファン・エル・シャラーウィはインサイドハーフでも十分起用可能なのであるが、まだそれはミランにおいては紹介されているものではなかった。しかし、シニシャ・ミハイロヴィッチ監督も、シルヴィオ・ベルルスコーニ名誉会長も、彼は「インサイドハーフ」のポジションでも十分に起用可能であることだけを説明するに留まった。ファラオーネが「自らのポジションがない」と考え、「インサイドハーフの選手ではない」と拒否反応を示し、「自らは望まれている選手ではない」と考えるに至るのは十二分にあり得る話なのである。というのも、彼は金曜日にミランのプレシーズンキャンプに合流したばかり。金曜日には練習試合が組まれていた関係で、ミハイロヴィッチとエル・シャラーウィの間に具体的な説明をする余裕すらもなかった。
これが悲しい「すれ違い」である。

その頃、イビサ島では。。。
アドリアーノ・ガッリアーニはズラタン・イブラヒモヴィッチとのラブストーリーを再開する契機を再び作るべく、イブラが滞在していたイビサ島に追いかけていた。(残念ながらアドリアーノ・ガッリアーニとズラタン・イブラヒモヴィッチが会談している所をキャッチした者はいなかったようであるが、それ以外にガッリアーニがイビサ島を訪れる理由はない。)そこにやってきたのが、フェデリコ・パストレッロ。この代理人はミランとも通じている代理人で、今回の移籍劇の立役者である。とにもかくにも動きが素早かったパストレッロは、アドリアーノ・ガッリアーニが拒否する前に、ステファン・エル・シャラーウィの代理人である兄に、ASモナコ(ASモナコにステファン・エル・シャラーウィの獲得を勧めたのは、ASローマのワルテル・サバティーニSDである。彼には、ファラオーネの移籍金をアレッシオ・ロマニョーリで吸い上げたいという狙いがある。)からの話を伝え、仮合意を押さえた。そして、同代理人はナニをトルコに移籍させた後、トルコからイビサ島に向かった。その時、アドリアーノ・ガッリアーニにはファラオーネに「ミランの彼への期待値の高さが保たれている」ということを伝えきる為の時間の余裕さえ作ることは出来ない状態にあった。ガッリアーニもまたシニシャ・ミハイロヴィッチの構想を伝えきることの出来ない状態にあった。

悲しい「すれ違い」は、頭の中のイメージの「すれ違い」のまま、エル・シャラーウィはモンテカルロに向かう。ほぼほぼ心中は伝え合うことなく、別れの時がやってきてしまった。

2015年7月13日、ステファン・エル・シャラーウィはモンテカルロに到着。メディカルチェックを受診し、無事通過すれば、買取義務オプション付きレンタルにて、ファラオーネのリーグアンでの挑戦が始まる。すれ違いはあるものの、羽ばたく時がやってきた。彼は今でも、ACミランにとって、「夢」であり、「希望」である。


最後に、このステファン・エル・シャラーウィのASモナコ移籍のコラムを書くに当たり、親愛なるくるもん様には、多くの御協力を賜りましたことを追記させて頂きます。ほぼ全ての情報のツイートをお任せし、このコラムの執筆に集中することができたのは偏にくるもん様のおかげであり、そのことを事前に承諾してくださったことをここに明記し、最大の感謝をお伝えしたいと思います。
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[月刊コラム Vice Versa 第3回]"「沈黙の逆襲」~「負けるが勝ち」と「急がば回れ」~


[アドリアーノ・ガッリアーニの沈黙]

2015年6月29日が30日に差し掛かった頃、イタリアのSky Sportはアドリアーノ・ガッリアーニとアンドレア・ベルトラッチのデート現場に迫った。ベルトラッチのミランの選手として初めての夕食会を終え、お開きになった頃のことである。いつもならこういう時、アドリアーノ・ガッリアーニは喜んで立ち止まり、満面の笑みで語り出す。もちろん、アンドレア・ベルトラッチはイタリア人であること、イタリア人であること、既にイタリア代表選手であること、先日のアッズーリでもプレーを披露したこと、更には若いこと、何よりミラニスタであることを強調するだろう。そして、最後にこう言う。「シルヴィオ・ベルルスコーニ名誉会長に感謝しなくてはならない。会長がミランに素晴らしい選手 を獲得させてくれたんだ。」と。しかし、この日のアドリアーノ・ガッリアーニは「No, No, No.Grazie, grazie...」と言うだけで立ち止まりもせず、何度も何度もマイクを向けるSkyのレポーターに対し、少々の言葉を返すだけだった。
「ベルトラッチについて?彼は素晴らしい選手だね。彼のことは長い間追っていたよ。他のMF?誰が知ってるんだ。誰がそう言うことが出来るんだ。」
あまりにも異例の短い談話が残るのみだった。

アドリアーノ・ガッリアーニが最後に公の場でメディアに口を開いたのは6月19日のこと。そう、あの「コンド・ダービー」と呼ばれるジェフレイ・コンドグビア争奪戦の最中、モンテカルロ以来、実に10日振りに、メディアに向けての声明発表の場だった。この10日、アドリアーノ・ガッリアーニは常に沈黙を保ち続けた。ジェフレイ・コンドグビアの一件、ジャクソン・マルティネスの件で、ガッリアーニは方針を変更した為である。名付けるとすれば、「闇で動くガッリアーニ」と言ったところであろうか。(ジェフレイ・コンドグビア、ジャクソン・マルティネスの一連のミラン側の経緯は既に日々更新の拙稿にて紹介済み。)

この10日間のメインテーマはジェフレイ・コンドグビアとジャクソン・マルティネスを逃した痛手を、静かに取り戻すことであった。その結果、最終的に合意に取り付けたのが、アンドレア・ベルトラッチとカルロス・バッカ。前者は昨日ミラン加入が正式発表となった。明日・明後日中には、カルロス・バッカのACミラン加入も正式発表となる見込みである(本日ミランのスタッフがコロンビアへ出発。メディカルチェックと契約書へのサインはコロンビアで行う)。アンドレア・ベルトラッチは端的にミラン加入に好意的であり、正式発表となった今は、非常に喜んでいる。ローマには好意的な交渉を感謝しなければならない。ローマは苦労して同選手の共同保有権を買い戻したばかりであったが、本人の意思を尊重し、吹っかけすぎることなく、共同保有権の買い戻しに掛かった費用に少々の利益を付け加えたのみの額で合意してくれたのであるから。

しかし、こうして、コンドグビアの替わりにはベルトラッチを、ジャクソン・マルティネスの替わりにはカルロス・バッカを、それぞれ獲得することが決定的となった今でも、アドリアーノ・ガッリアーニは沈黙を保とうとしている。その理由はコンドグビア+ジャクソン・マルティネスで7500万ユーロの移籍金を使う予定であったのが、ベルトラッチ+バッカで移籍金5000万ユーロを使うことになった、そのインパクト(特に対メディア、対一般向けイメージに対する)の差である。端的に、アドリアーノ・ガッリアーニはまだ満足していない。付け加えておくのであれば、アドリアーノ・ガッリアーニの求めているインパクトはゼニト・サンクトペテルブルクのベルギー代表MFアクセル・ヴィツェルでも、アスレティック・ビルバオのDFアイメリク・ラポルテでも、ASモナコのチュニジア代表DFアイメン・アブデヌルでもない。アタランタのMFダニエレ・バセッリとパルマ所属からフリーになるMFジョゼ・マウリはイタリア人若手枠として、満足一部分が得られるだろう。バセッリの獲得の前に、少なくともスレイ・ムンタリの放出を決めたいのがミランの意向であり、アントニオ・ノチェリーノの放出も考えているというのが現段階である。なお、ASローマのDFアレッシオ・ロマニョーリは、シニシャ・ミハイロヴィッチ監督の希望である。非常にハードルが高いが、ローマの出方がミランの動きを決める。ローマが売りたくないと言えば、ミランは無理には動かないだろう。DFに関しては、ミランはハッキリとしたスタンスを既にミランチャンネルが発しているのだから。
「市場に出ている選手を探している。」
と。


[ネリオ・ルーカス=ドイエンスポーツの逆襲?]

ACミランは6月になってようやく、ビー・タエチャウボルによる株式48%買収を公式に発表した。5月初頭には既に合意に至っていた買収が1ヶ月もの間、公式にならなかったのは、端的にシルヴィオ・ベルルスコーニ名誉会長が力を入れていた「選挙」が5月末に行われたからであり、この選挙イメージの為にも、会長はミランの売却を公式発表するわけにはいかなかったのである。

さて、そのビー・タエチャウボルを見つけ、連れてきたのは誰か。その人こそ、ドイエン・スポーツのネリオ・ルーカスなのだ。もちろん、ビー・タエチャウボルのミラン買収資金の一部は、ドイエンスポーツからも提供されている。その資金を自らの懐に回収するべく、アドリアーノ・ガッリアーニに付きっきりで獲得の「補助」をしたのが、ミランのジャクソン・マルティネス、ならびに、ジェフレイ・コンドグビア獲得オペレーションであった。

ネリオ・ルーカスの狙いはこうだった。
まず、FIFAが選手の保有権を第三者(銀行や投資会社)が所有する(TPO)ことを禁止するという方針を打ち出し、その規定の締結に動いている。まさに、ドイエンスポーツはその第三者(投資会社)にあたり、現在のドイエンスポーツの業務は著しく損害を受けることになる。故に、ネリオ・ルーカスは現在、第三者として保有権を有している選手を一旦、クラブに売却する必要が出てきている。ジェフレイ・コンドグビアにおいては、その保有権の80%をドイエンスポーツが有していると言われていた。なぜミランにコンドグビアを売りたかったのか、それはミランに少なからずドイエンスポーツの資金が流れていたこと、そして、セリエAでは保有権の第三者保有は許可されていない為である。ミランはそういう意味で、ドイエンスポーツにとって、恰好の選手の「受け皿」であった。

もう1つ、暗に意図していたネリオ・ルーカスの狙いは、保有権の所持により、ドイエンスポーツは堂々と選手の交渉に介入できる為、その交渉の手引き(代理人がやっている仕事に類似)をすることで、巨額のマージンを得たいというものであった。実際、いくつかの情報筋によると、ドイエンスポーツはジャクソン・マルティネスの件ではFCポルトに、ジェフレイ・コンドグビアの件ではASモナコに巨額のマージン要求をしていたという。

しかし、ネリオ・ルーカスの狙いは、これまで懇意の仲(ジョルジュ・メンデスはドイエンスポーツの設立に肩入れしている)にあったはずのジョルジュ・メンデスに(ジャクソン・マルティネス)、ジェフレイ・コンドグビアの件では(ミランとインテル)に、肩透かしを食らわされ、巨額のマージンという利益が得られず終わってしまった。さらに、それだけではなく、このことが決定打となり、アドリアーノ・ガッリアーニは念願の適切な関係を得ることとなり、ネリオ・ルーカスがあまり大きな顔で、ミランのメルカート事情に介入することができなくなってしまったのである。

というのも、アドリアーノ・ガッリアーニは念願のジャクソン・マルティネス獲得を内定させた後、自らの意図と、ネリオ・ルーカスの行動が、噛み合っていないことを感じていた。ガッリアーニはジャクソン・マルティネスの獲得を決めた後、ミーノ・ライオラと共にドーハに向かう意欲を見せていたのである。そう、ズラタン・イブラヒモヴィッチの復帰という念願を果たす為に。しかし、ネリオ・ルーカスはモンテカルロ行きを執拗に催促した。その時にアドリアーノ・ガッリアーニが親しい情報筋に漏らしたのが、以下の言葉であった。
「ネリオ・ルーカスはミランのスタッフではない。彼はミランのメルカートに対する助言者であり、協力者なのだ。だが、ミランのスタッフではない。適切な距離感が必要なんだよ。」

ネリオ・ルーカスは今、ポルトガルで、FCポルトとフランス代表MFジャンネッリ・インブラの獲得オペレーションに参加している。横槍を入れた形のポルトだったが、すんなりとインブラの獲得を決定付けたと言われている。争奪戦になったインブラの獲得に迫っていたのは、インテルミラノと、バックにジョルジュ・メンデスのいるバレンシア。ただし、バレンシアでジャンネッリ・インブラの獲得を望んだのはジョルジュ・メンデスやヌーノ・エスピリト・サント監督ではなかったという噂だが。ジョルジュ・メンデスが獲得を望んでいたのは、同氏が保有権を有しているサン・パウロのMF&DFロドリゴ・カイオである。残念ながら同選手も、複数回のメディカルチェックを通過できず、ブラジル、サン・パウロ州に帰還が決定してしまった。なお、その原因となった怪我は、ジョルジュ・メンデスがロドリゴ・カイオの保有権を購入した直後の昨年8月に負った左膝前十字靱帯損傷であろう。彼はこの怪我により半年以上戦列を離れ、最近やっとの思いで復帰したばかりであった。
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[月刊コラム Vice Versa 第2回]"「信じる」こと、デシマと無冠の2年間"

2012年2月12日、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦。その日はメスタージャでバレンシアCFvsパリ・サンジェルマンの試合が行われていた。試合は前半、エセキエル・ラヴェッシとハビエル・パストーレのゴールが決まり、試合終了間際にバレンシアがアディル・ラミ(現ACミラン)の得点で1点を返すのがやっとだったあの試合、多くのバレンシアニスタだけでなく、リーガファンから、カルロ・アンチェロッティ(以下「カルレット」)の極めてイタリア的な試合の進め方に批判(「つまらない」「個人技便り」などなど)は殺到していた。さらには、試合終了間際に、パオロ・タリアベント(イタリア・カルチョ好きには有名な迷惑審判)がズラタン・イブラヒモヴィッチに退場処分を科したこともあり、非常に後味の悪い試合であったことも忘れてはならない。(3月5日にパルク・デ・フランスで行われたPSGvsバレンシアは1-1で終わり、PSGは準々決勝に進出した。)
それから3-4ヶ月後、カルレットはマドリードに行くことが決まった。極めて「イタリア人的」な監督は、ACミランでのビッグイヤーやチェルシー、パリ・サンジェルマンでのそこそこの働きを評価され(いや、その間に高まった「格」の方が重要だっただろう)、世界で最もビッグイヤーを掲げたチームの監督に就任した。
多くのミラニスタにとって、レアルマドリーは特別なクラブである。ミラニスタは「トロフィー」の数、特にヨーロッパの頂点に立った数や、世界規模のカップ(現「クラブワールドカップ」)の数に拘りが強く、それは選手も同じこと。多くの選手がこれまで「ミランを出るならレアルマドリーにいきたい」と発言してきたし、ティフォージもまた「レアルマドリーならば・・・(仕方ない)」と思う人々は多かった。もし、リッキー・カカがあの時、レアルマドリーではなくマンチェスターシティに行っていれば(ありえない話だった)、リッキーの2回目のミランは存在しえるものではなかったと筆者には思われる。


カルロ・アンチェロッティのマドリーは始まりから順風満帆なものではなかった。チームは完全に前監督ジョゼ・モウリーニョのフットボールに染まっていたからだ。筆者は特段ジョゼ・モウリーニョ前監督を良くも悪くも言うつもりはない。しかし、ジョゼのマドリーはとにかく「スピード」があった。しかし、カルレットのチームはそうではない(そもそもカルレットの見た目をもってして、「スピード」に拘りがあったら、まずは痩せることを誰もが勧めているだろう)。カルレットのカルチョはとにかく「バランス」を最適化することにある。速い攻撃もするが、じっくりゆったりとも攻める。そして、適切に守る。何もかもバランスが第一。これを習得するまでには最初のシーズンの半年は費やすことになった。
その半年の間、カルレットには各々の選手を知ることを第一目標だった。何人かの選手については改めて知る必要がなかったのが幸いした。何といってもクリスティアーノ・ロナウドには早くから「アンドレイ・シェフチェンコ」のイメージが持てていただろう。
カルレットに必要なものは「フォーリクラッセ」である。イタリア語で「桁外れの、ずば抜けた、規格外」といった意味を持つ言葉であり、カルレットにとってそれはマドリーではクリスティアーノ・ロナウドを指す。(パリ・サンジェルマンではズラタン・イブラヒモヴィッチ、チェルシーではディディエ・ドログバ、ACミランでは時にアンドレイ・シェフチェンコであり、時にカカであった。)カルレットはまず「フォーリクラッセ」を信じる。
次に「フォーリクラッセ」を自分のイメージの中で最も最適な場所でプレーさせる。カルレットにとって、クリスティアーノ・ロナウドは2トップのFWがベストであった。守備も免除できる。その時点で「10人の働き蜂と1人の女王蜂」の構図は決定していた。クリスティアーノに気分良くプレーさせること。その為に他の10名はより一層チームの為にプレーすること。(この考え方こそが極めて「イタリア人的」な所以である。)
詳しい戦術部分は抜きにして、そのカルレットのイメージは現在までも踏襲されている。昨シーズンであればシャビ・アロンソとアンヘル・ディ・マリア、今シーズンはハメス・ロドリゲスとイスコがその役目でより注目されるべき働きをしてきた。
チームの11名を決める過程もより端的なものである。チームの中でより良い選手と思う選手から順に11名を選ぶこと。よりチームにとって決定的な仕事が出来ると思う順。そして、その11名で適切なバランスを考えた配置をすること。メカニズムの基本は既に決まっている。「フォーリクラッセ」は絶対に「やりやすい位置」を基準点に配置すること。そして何よりも、選手全員がチームの為に働いてくれると「信じる」こと。
この成果が最初のシーズンから結果に繋がったことはカルレットにとって嬉しい誤算であった。そう、ジョゼ・モウリーニョを招聘しても叶わなかった「デシマ」の達成。順風満帆のシーズンだった。リーガを逃した、バルサやアトレティコに完膚なきまでに負けたことが多かった。しかし、カルレットは本業の「チャンピオンズ」を獲った。

2年目。監督として3度目のビッグイヤーを「シベーレス」で掲げたカルレットに待っていたのは、安堵の喜びの後の落胆だったかもしれない。それはアンヘル・ディ・マリアの放出であり、シャビ・アロンソの退団であった。特に困ったのはシャビ・アロンソの退団。アンヘル・ディ・マリアの代わりは先に見つけていたからである。そう、イスコ。しかし、シャビ・アロンソの退団は予期せぬ出来事であったに違いない。代わりは存在しなかった。シャビ・アロンソは攻撃面よりもむしろ、守備面でその存在感を強く発揮した。センターバックがサイドにつり出された場合のバックラインのカバーリング、そして、セットプレー守備における高さ。この働きは誰にでも真似できるものではなく、そのシャビ・アロンソをいとも簡単に失った点、しかもそれが8月の中旬から下旬に決まったことはカルレットにとって計算外だった。シャビ・アロンソの退団から、カルレットの2年目の苦労が始まった。根幹が変わらず、新たなシステムを見出すことは苦労が付きまとう。カルレットから見て、「レアルマドリー」は「クリスティアーノ・ロナウドのチーム」であることに疑いの余地はない。それ故、2トップの一角であり、左ウィングであるクリスティアーノという構図は動かしようがなかったのである。
詳しい戦術的な分析を繰り返すのはここでは控えるとして、結果だけを言えば、「ディ・マリア役」はすんなりイスコ、ないし、ハメス・ロドリゲスという結論に収まった。そうすると、必然的に「シャビ・アロンソ役」はトニ・クロースとせざるを得なかった。配球のテンポに関して、トニ・クロースは前職のシャビ・アロンソよりもよりポゼッションサッカー向きであったことは確かであった。しかし、守備はというと、一切の守備のセンスを持ち合わせていたとはとても言い難い。故にバックライン(特にペペとセルヒオ・ラモス)が頼みの綱であった。しかし。。。
怪我が相次いだ。ルカ・モドリッチというマドリーにおいて替えの効かない選手が離脱し、必然的にイスコとハメス・ロドリゲスの併用が必要となった。しかし、その控えはアシエル・イジャラメンディ。守備はイスコやハメス・ロドリゲスよりも拙いものだった。特に激しい当たりは出来ない。結果的に1人主力が怪我をする度にチームのレベルは1段、いや、2段も3段も落ちる結果となってしまう。しかし、意図的にチームを落とすことは出来なかった。マドリーは常に勝たないといけない。だから、カルレットは常に「1試合1試合ベストメンバー」を起用する。コパ・デル・レイ以外、落としどころのないチームだった。(そのコパ・デル・レイでさえも、負けることは許されないのがマドリーというクラブである。)次々に疲労が溜まる選手達。そして、試合に出ることが出来ない若手。その差は歴然だった。そして、怪我人続出へ。。。

転機が訪れたのは、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦2nd legだったという。相手はシャルケ04。敵地で2-0と勝利していたマドリーはホームでご乱心。3-4で敗戦するも、辛くもゴール差で準々決勝に進出したゲームだった。あの試合でさえ、勝ち抜けたとしても敗戦は認められなかった。そして、もっと言えば相手の攻撃的なフットボールに対し、狡猾さを打ち出せぬまま点を獲られ続けた内容も許されるものではなかった。そして、その1週間半後。カンプ・ノウでのクラシコで敗戦(2-1)。蓄積し、悲鳴を上げ続ける選手達の身体が、カルレットにそのままBadな雰囲気を齎したと言える。その後、ほんの3ヶ月前までは連勝に次ぐ連勝2014年を終えたばかりだった空気が一変していた。カルレットはフロントからの信頼を感じなくなった。だからこそ、代理人のエルネスト・ブロンゼッティは次期監督を探していると言われていたマンチェスターシティからの話を聞いた。(これはエルネスト・ブロンゼッティが所属チームの意思を確認する為に取る策としてしばしば使われるものである。そして、アンチェロッティにその気はなくても、一応、話は聞くという事態が意味するものは大きいと筆者は考える。)
2015年4月、最後の力を振り絞るようにマドリーはほぼ連戦連勝を繰り広げた。ビセンテ・カルデロンでのスコアレスドローも、セルヒオ・ラモスの中盤起用という約1年半振りの奇策で乗り切った。しかし、5月、今シーズンのリーガで最も組織力の高いチームのうちの1チーム、セヴィージャとの一戦をギリギリの勝利で乗り切ったあたりから再び選手達には疲れが出始める。4月にカルレットの為に頑張った選手達は再び、ユヴェントス戦で崩壊した。強度が保てないチームは続くバレンシアにドローでリーガ優勝の望みが薄まり、続くサンチャゴ・ベルナベウでのユヴェントス戦もドローに終わる。この時、カルロ・アンチェロッティの解任は決まったのだろう。告げられることはなかったものの、カルレットはハッキリと自らが解任されることを悟ったに違いない。
あとはカルレットの孤独な戦いだった。最後の最後まで「信じる」ことがカルロ・アンチェロッティ、その人となりだから。選手も、そして、スタッフも、そして、フロレンティーノ・ペレス会長も。「信じる」ことで選手は自らを救ってくれた。そして、スタッフも。。。

カルレットの解任にあたって、筆者はマドリディスタの皆さんや選手達、そして、スペインメディアの暖かい支援を見た。しかし、筆者はカルレットをこよなく愛する側の人間として、思うことをここからは書こうと思う。
解任は当然の結果である。
確かにカルレットがレアルマドリーに残したものはあっただろう。1番大きいものは「デシマ」だろう。しかし、無冠は無冠。しかも、良くない負け方や負けてはいけない試合の敗戦があった。だからこそ、解任は仕方のないことである。筆者にとって最も嬉しかったのはカルレットが「信じる」皆さんからの暖かい反応であり、きっとカルレットにとって最も幸せなことだったと思うから。率直に申し上げると、こんなに「最高の終わり方」を筆者は予想し得なかった。「極めてイタリア人的」なカルレットがこれほどまでの賛辞が送られ、惜しまれることを。だからこそ、これでよかったのかもしれない。。。
次の監督は誰になるのか、筆者には知りえない。しかし、新監督候補の代理人はマドリードにいる。だが、新監督はダレデスかはわからない。しかし、マドリーに栄冠が再び見えたのである。要求は限りなく高い。しかし、それを成し遂げた監督は、ひどく疲れたものを癒す為、そして、首の狭窄の手術を受けるため、明日、マドリーからフランクフルトを経由して、バンクーバーへ旅立つ。選手が感じた肉体的疲労と同等の精神的疲労(インタビュー拙訳:カルロ・アンチェロッティ"Il Giornale"へのインタビュー ~「レアルでの2年間でとても疲れた」~)を今頃感じながら。。。今日は「最後の晩餐」である。
テーマ : サッカー
ジャンル : スポーツ

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[月刊コラム Vice Versa 初回]"仁義無き「メディア」使いの戦い、その中の愛の物語"[ACミラン]

時は2015年4月、ACミランを取り巻く空気はここ近年と漏れなく暗い。光を見つけては闇へ。闇の奥深くに入り、「危機感」に苛まれてやっと光を見つける。しかし、その「光」はそう長くは続かない。

ピッポ・インザーギは今尚、監督の座にある。それはほどんど彼の力ではない。彼の最高のファンである人物によるところが大きい。アドリアーノ・ガッリアーニ副会長代理兼CEOは1度ならず、複数回、彼の危機を救っている。彼の愛は今、シルヴィオ・ベルルスコーニ・オーナーではなく、ピッポ・インザーギに向かっている。思い出せる人は思い出して欲しい。あの場面。ガッリアーニは「最愛の人」、シルヴィオ・ベルルスコーニの横で、大はしゃぎで喜んだアテネのゴールシーンの喜びを。決めたのはピッポ・インザーギだった。(ピッポ・インザーギはあの「アテネのリベンジ」を果たす2ゴールを挙げた。)一方、彼の愛人(シルヴィオ・ベルルスコーニ)は彼(アドリアーノ・ガッリアーニ)を裏切り、娘バルバラを選んだ。これはある意味、世の中の摂理に従ってのことでしかない。あらゆる愛も、「親子の愛」に勝るものはない。多くの人がそのことを知っている。
それでも、ガッリアーニはそんな「最愛の人」を愛し続けながらも、彼は彼のビジネス人生で、最高の歓喜を齎した人物をも愛している。ここまで愛しているとわかったのは、「新たな愛人」がミランプリマでの輝かしい監督としてのプレデビューの続きを披露することではなく、サッスオーロというセリエAに昇格チームではあるが降格の危機にあるチームでの「経験」を選ぼうとしている時であった。

当時のミランは荒れに荒れていた。まず、アドリアーノ・ガッリアーニは「本元の愛人」であるシルヴィオ・ベルルスコーニの裏切りを感じた。「本元の愛人」は2度もガッリアーニではなく、娘のバルバラ・ベルルスコーニを優先した。少なくとも、ガッリアーニにとって長年寄り添った「本元の愛人」としての地位・誇りは既にその時点で崩壊していた。その2度の裏切りとは、1度目は「バルバラ・クーデター」と呼ばれる事件(詳細はこちら)、2度目は、マッシミリアーノ・アッレグリの後任監督を選ぶ際の件。アッレグリの後任監督に、アドリアーノ・ガッリアーニが選んだのはピッポ・インザーギ。選ばれたクラレンス・セードルフはバルバラ・ベルルスコーニによる推薦だった。クラレンス・セードルフを選択したクラブに失望したピッポ・インザーギは、より重要な経験を求め、セリエAの残留争いにおいてもがき苦しむサッスオーロの監督になることを選択した。しかし、アドリアーノ・ガッリアーニはこれを翻意させたのである。

ガッリアーニvsバルバラの対立はもはや単なる「対立」ではない。「戦争」に近いと筆者は見ている。なぜ「対立」ではなく、「戦争」と呼ぶかというと、この争いには既にACミランというチームの中での「権力」をどちらが獲るかというレベルの問題に達しているから。今はあまりその「対立」は目に見えないところにあるが、内部でのあらゆる重要問題には常に、バルバラ・ベルルスコーニによるメディアへの先手取りの動き、そして、その後のアドリアーノ・ガッリアーニによる対応という2つの動きがある。今は、ミランの歳入を増やすことだけに従事しているように見える彼女だが、ビー・タエチャウボル氏によるミラン株式25%購入の話題に際しては、彼女が親より譲り受けた繋がりにより贔屓にしているメディア(ANSA.it)を通じて、ワルテル・サバティーニ招聘の噂を流すことを行ってみたり、彼女が現在目を付けているフィオレンティーナの監督を1月に解任させようと動いた監督の後任監督に位置づけてみたりとカウンターパンチにも枚挙に暇がない。
メディアを使ったあらゆる行動の有利化を計る能力において、父シルヴィオ・ベルルスコーニ譲りの実力があるバルバラ・ベルルスコーニは、同様にメディアの使い方を熟知しているアドリアーノ・ガッリアーニと対等、いや、それ以上の能力がある。何よりもまずガッリアーニは常に後手を選ぶ癖があるのに対し、バルバラ嬢は常に先手を選ぶ傾向が強いという点は特筆すべき点だろう。1月のインザーギ解任報道のさきがけは紛れもなくバルバラ・ベルルスコーニによるANSA.itへの父の発言(とされる言葉)のリークであり、慌てて父シルヴィオ・ベルルスコーニがストップをかけるという流れに至っている。
ただし、こうした先手は常にバルバラ嬢を有利な風潮作り上げている。メディアの次にその風潮に乗りやすいクルヴァ・スッド・ミラノ(ミランのゴール裏に陣取るファン集団)が後押ししてくれるからである。クルヴァ・スッドは、自分達に阿ることのないアドリアーノ・ガッリアーニを最も嫌う集団であり、ガッリアーニを批判できる素材をいつも捜し求めている集団でもある。今のクルヴァ・スッドはアドリアーノ・ガッリアーニを批判する為であれば、手段は選ばない。それが例え、彼らが主張した「ピッポ・インザーギの解任回避」に反する行為だとしても、批判を目立たせる為の容赦はない。今のミランとミラネッロ(練習場)を取り巻く空気はこの2つの集団による相乗効果が成したものだと筆者は分析する。

そもそも、ミランの今シーズンの目標は何であったか。それはヨーロッパ・コンペティションへの復帰であり、あわよくばチャンピオンズリーグに帰ること。チャンピオンズへの復帰を強く望んだのはピッポ・インザーギであり、目標はそこにあるが、ノルマではなかった。それはピッポ・インザーギに高いハードルを科したくないというアドリアーノ・ガッリアーニによる努力の賜物でもあったのだ。
しかし、3月上旬の解任報道。各メディア(特にスポーツ紙、Sky Sportはやや引き気味からこの情勢を伝えた)が強く推した「エラス・ヴェローナに勝てなければ解任」はそうした目標・ノルマ設定に対し、あまり重要な意味を持つゲームではなかった。それよりもむしろ、ホアキンに沈められることになる次節フィオレンティーナ戦の方が目標・ノルマに向けた最重要の試合であった。
「不必要な重圧」が掛かったピッポ・インザーギの「自滅」を望むのは、ピッポ・インザーギを推すアドリアーノ・ガッリアーニの「更なる失墜」を望む"Lady B"(ここでは敢えて名前を伏せることにしよう)である。メディアは多くのネタを振りまいてくれる彼女に縋り付くべくこの肝心の点を伝えることはない。しかし、これはミランに有利な報道を書かせるために疾走していた頃のアドリアーノ・ガッリアーニに阿るために、肝心の点を報じなかった過去のメディアと何ら変わりのないことである。ミランとイタリアのメディア(特に「売り上げ」が絶対的に必要な新聞紙)の膿は溜まりに溜まっている。そして、悲観的な論調を好む一部のイタリア人の気性も相俟って、空気は重く、暗いままなのである。この「戦争」を終わらせることが無い限り、ずっと。毎年。これが、今のミランの現状であり、イタリアメディアの悪しき伝統でもある。

さて、そうしたメディアやクルヴァ・スッドの醸し出すハーモニーに載って、共に歌を歌う方々に、筆者はこう問うことにしよう(この問いが届くことはないであろうが)。ピッポ・インザーギのミランになってもなお、アドリアーノ・ガッリアーニの仕事に変化はないのか、と。例えば、ジェレミー・メネーズ。イビサ島での電撃会談に至る直前、アドリアーノ・ガッリアーニはジェレミー・メネーズの獲得に反対していたことは周知の事実のはずである。ピッポ・インザーギはこの事実を日本に向けては発信している(『ワールド・サッカー・ダイジェスト』内「ミラン戦記」より)。さらには今冬の獲得の中で、アレッシオ・チェルチを望んだのはピッポ・インザーギであることも同様だ。さて、アドリアーノ・ガッリアーニが望みもしない選手ではあるが、ミランの監督が望んだために獲得した選手は過去、存在したのだろうか。答えは限りなくNoに近い。唯一、近年の獲得で存在したのは、マッシミリアーノ・アッレグリの要望で獲得したミランプリマ発のFWアレッサンドロ・マトリのみである。そんなマトリの獲得も、自らが拒否権を発動したことによりストップが掛かったカルロス・テヴェスの獲得の代案であることを、"Lady B"は隠蔽しながら、批判の対象にしていることはここに明記しておこう。奇しくも、アドリアーノ・ガッリアーニが密かに獲得に動き、泣く泣く見送るしかなくなってしまったカルロス・テヴェスはセリエAの得点ランクで上位にあり、彼を指揮する監督は当時のミランの監督マックス・アッレグリであり、共にミランにいないことは言うまでもないことかもしれないが。

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セリエファン、アッズーリファンという視点からカルチョ、フットボール、サッカーを分析します。
賛否両論あると思います。
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