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[ミラン]CBアレックス[PSGよりフリーで加入]

チアゴ・シウヴァが熱心に推薦した。
DFアレックスは欧州のビッグクラブを渡り歩いた苦労人である。
もちろん、数々のチームで栄冠を掴んだ。

2002年、アレックスは初めてトップチームの選手としてデビューを飾った。
名門の白いユニフォーム。
着ていたのはサントスのユニフォームである。
当時のサントスは「ヤング・サントス」と呼ばれ、まだ若手売り出し中のエラーノ、ロビーニョ、ジエゴといった鳴り物入りの新進気鋭達もデビューを飾ってすぐの頃だった。
アレックスもその「ヤング・サントス」のイメージの1人である。
売りの1つは空中戦。
2003年のカンピオナート・ブラジレイロ・セリエAでは9得点を挙げるなどの成績を残している。

2004年、アレックスに転機が訪れる。
ヨーロッパのクラブへの移籍である。
アレックスを射止めたのは、ロマン・アブラモヴィッチというロシアの石油王がオーナーとなり、上昇気流真っ只中にあるチェルシーだった。
イングランドで、しかも、チェルシーでヨーロッパの舞台にデビューを飾るはずだった。
しかし、障壁となったのは就労ビザであった。
アレックスに認可が下りなかったのである。
こうしてアレックスはチェルシーからPSVアイントホーフェンへレンタル移籍することになる。
待っていたのはフース・ヒディンク。
タイトル争いの中で、更なるチーム強化を目論んでいた。
そこでアレックスはチームの3連覇やUEFAチャンピオンズリーグの躍進に貢献。
そうしてやっと2007年、チェルシーでのプレーの条件、就労ビザを獲得することとなる。
その間に1度、ACミランの獲得候補に挙がっていたという。

チェルシーで待っていたのは、ジョゼ・モウリーニョだった。
しかし、チェルシーでのデビューを飾った次の月、9月にはモウリーニョはチェルシーを去る。
たった1ヶ月の付き合いであった。
それでもアレックスは、モウリーニョの後を継いだアヴラム・グラントの下、チェルシーと共にUEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出する。
次シーズンは同胞のルイス・フェリペ・スコラーリの指揮下に入り、リカルド・カルヴァーリョの長期離脱もあってレギュラーポジションを獲得すると、"フェリポン"解任後の新監督はPSVで栄冠を共にしたフース・ヒディンクだった。
アレックスにとってチェルシー3年目のシーズンに監督に就任したのは我らがカルロ・アンチェロッティ。
PSV時代に対戦し、その能力を高く評価したカルレットもまたアレックスを重用する。
しかし、カルレットの退団後、アレックスは度重なる怪我などから徐々にスタメンの座を明け渡すしていくようになる。

そして、ついにアレックスはイングランドの地を飛び出すこととなる。
獲得したのは、一足先にカルロ・アンチェロッティが監督となっていたパリ・サンジェルマン。
アレックスはすぐさまPSGのディフェンスリーダーに君臨し、チームの中心となった。
信頼してくれる監督の下ではしっかりと結果を残す。
チアゴ・シウヴァは遅れてやってきた。
パリ・サンジェルマンには同クラブ生え抜きのヤングスター、ママドゥ・サコとの三つ巴のポジション争いはチアゴ・シウヴァがファーストチョイスではあったが、徐々にポジションを確保するに至ったのである。
何よりもまずチアゴ・シウヴァが相棒に選んだことが大きかった。
アレッサンドロ・ネスタの英才教育を受けたチアゴ・シウヴァにとって、ディフェンスリーダーの役目は自らのデュエルで負けないだけではなく、ディフェンスラインの統率も含まれる。
その役目を完全に遂行するには、本人にもそもディフェンスリーダーとしての才覚のあるアレックスとのコンビである方が良かった。
アレックスはチアゴ・シウヴァの相棒としてだけではなく、チアゴ・シウヴァと一緒にディフェンスリーダーとしての役目を果たした。

そんなアレックスであっても(マルキーニョスにポジションを奪われることはなかった)、ダヴィド・ルイスの獲得には流石に危機感を持ったのであろう。
春の段階でミランはパリ・サンジェルマンとの契約が切れるアレックスに本格的な契約オファーを提出していた。
相棒チアゴ・シウヴァがその時点で、移籍する場合はミランへと強く誘っていた。
PSG残留か、ミランへ移籍か。
アレックスは1度は残留を決意していた。
それでも、パリ・サンジェルマンはダヴィド・ルイスを選んだ。
確かにダヴィド・ルイスとチアゴ・シウヴァは旧知の仲。
ブラジル代表(セレソン)でもコンビを組む相棒である。
アレックスは断腸の思いでパリ・サンジェルマン退団を決意したのであろう。
「信頼」を求めて。


ACミランには以前、マリオ・ジェペスというセンターバックがいた。
ジェペスもまたパリ・サンジェルマンでプレーしたことのあるディフェンスリーダーだった。
しかし、「鈍足」だと言い、信頼しなかったのは一部のミラニスタであり、当時の指揮官だった。
そんなジェペスは現在、ワールドカップ準々決勝進出チームのディフェンスリーダーである。
筆者はアレッサンドロ・ネスタが退団した当初、マリオ・ジェペスをネスタの後継者にしろと言っていた。
しかし、それをせず、信頼もせず、放免してしまったのは当時の指揮官であり、ミラニスタである。
ワールドカップでディディエ・ドログバを始めとしたコートジボワールの攻撃陣を、そして、スアレスはいなかったものの、ディエゴ・フォルランやエディソン・カヴァーニなどを擁するウルグアイを止めるマリオ・ジェペスの姿をミラニスタは真剣に受け止めなければならない。
ミランが自分達からワールドカップで輝く稀有のディフェンスリーダーを手放した。
批判し、揶揄したのはミラニスタである。
これを反省し、アレックスに活かす必要がある。
ディフェンダーには、「駒」では役不足で力を発揮しきれないが「柱」とすると真価を発揮できる選手がいる。
アレックスはそれに当てはまる選手だろう。
ディフェンダーとは、他のポジションとは違う見る目が必要なポジションである。
特に、イタリアにおいては。
それを見る側は学ばねばならない。

2014年6月6日、ACミランは公式HPにて、DFアレックスをパリ・サンジェルマンより獲得したことを発表。
アレックスとPSGの契約は2014年6月30日までだった故、フリーでの加入となる。
ミランとアレックスの契約は2016年6月30日までの2年契約。


Benvenuto Alex!!
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セリエファン、アッズーリファンという視点からカルチョ、フットボール、サッカーを分析します。
賛否両論あると思います。
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